2007年10月23日
中国大連 回想録 PART2
2日目の朝です。
8時にレストランに集合だったのですが、待っても2人がやって来ません。
部屋に電話をすると、「食事をお先にどうぞ」ということだったので、
もしやと思っていると、やっぱり出てしまいました。体調不良者2名。
ダンシングフィッシュ(いけすでお腹を上にした魚)のせいか?
うーん原因はわかりませんが、2人とも腹痛とのこと。そんなにひどい状態では
ないので、薬飲んで予定通り同行しましたが。
さーて、この日は旅順に参りました。旅順といえば203高地で有名ですね。
日露戦争の真っ最中、ロシア海軍の基地のあった旅順港を巡る日本とロシアの
争奪戦による激戦地となったところです。
この203高地の「203」」とは標高203メートルの旅順港が見渡せる小高い山の
ことをいっているんですね。
私も今回はじめて知りました。歴史ダメ人間なものですから。お恥ずかしい・・・
この203高地は、ロシア軍が占拠していた旅順港を日本軍が奪うにはどうしても
押えておかないといけない重要拠点だったんです。
つまり、この203高地からロシア軍が占拠している旅順港に攻撃を仕掛けるのに
最適地だったわけです。
どうですか、先に見えるのが旅順港です。曇っていたのでわかりにくいと思いますが。

旅順の港は港口が狭く、幅は273mでしたがその両側は底が浅いため、巨艦が出入り
できたのはその中の91mの幅だけだったといいます。つまりランチェスター戦略でいう
ところの局地戦、一点集中が効果を発揮する環境にあったことになります。
この港口を日本海軍が封鎖し、ロシア軍を港内に閉じ込めたところで203高地から
日本陸軍がロシア軍に攻撃を仕掛けて、1905年にようやくロシア軍を降伏させました。
この203高地は、今でも政府が管理する観光地として保存されています。
日本軍の慰霊碑が山頂にあります。

この小高い203メートルの小山を登るのに、籠屋さんがいました。
駐車場から山頂まで100元(約1600円)!

若さ?に任せて自力で登り始めましたが、途中で籠に乗るべきだったと後悔しましたよ。
かなりきつい坂です。もし行かれる方がいらっしゃれば、乗られたほうがベターですね。
しかし、この2人1組の籠屋さん、すごいパワーです。頂上に上ってわかります。
往復100元は安いと!
視察と観光もそこそこに、ホテルに戻ーりー!
日本でもそうですが、どこへ行っても現地のことを知るにはスーパーや商店街に
繰り出すのが一番早い!そこで、ホテルのすぐ近くにあるマイカルに出かけました。
そうです、日本のマイカルです。(今はイオングループの一員になりましたが)
前回も書きましたが食料品や一般雑貨は円換算で日本の1/4から1/5です。
日本の企業が現地の合弁企業で販売している商品、例えばアサヒビールの
スーパードライなどは、日本の半分です。

ところがです。ぜいたく品や嗜好品は、日本よりかなり高い。2割から3割は高いですね。
TOYOTAの新型レクサスや新型ベンツのSクラス等バンバン走ってますが、2~3割日本より
高いんです。ビックリです!パーカーなどの万年筆も同様。つまりぜいたく品は、めちゃ高!

つまりです、日本も格差社会だなんてよく耳にしますが、中国は日本の比ではない位貧富の
差が激しいということです。
市街地は、ビルの建設ラッシュで日本円で2000万円クラスのマンションが取り合いだそうです。
まさにバブルです!


一方、少し路地裏に入るとこういった風景です。

二極化してますよね。
前回書いたホテルのドアマンもフロントの女性も飲食店の店員さんも、笑顔がないのは
まだ、そこまで文化レベルが到達していないのかもしれませんが、これだけ貧富の差が
激しいところをみると、一日一日を精一杯生きていて、そんな心の余裕などがないのかも
しれませんね。
いやー、日本の豊かさに感謝せねばなりません。
では、次は3日目の最終日です。 つづく・・・





